こんにちは!市川です。
今回は、私どもの近所の名所旧跡をちょっとご紹介させてください。
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「浅草天文台跡」という旧跡の案内板が、隅田川の近く蔵前橋通りと江戸通りの交差点付近にあります。
菁文堂から、歩いて5分ほどです。
この地にかつてあった天文台を、しのぶ案内板です。
―以下『台東区の史跡・名所案内』より引用―
この地点から西側、通りを一本隔てた区画(浅草橋3丁目21・22・23・24番地の全域及び19・25・26番地の一部)には、江戸時代後期に、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていた。
天文台は、司天台(してんだい)、浅草天文台などと呼ばれ、天明2年(1782年)、牛込藁店(わらだな)(現、新宿区袋町)から移転、新築された。正式の名を「頒暦所御用屋敷」という。その名の通り、本来は暦を作る役所「天文方(てんもんがな)」の施設であり、正確な暦を作るためには観測を行う天文台が必要であった。
―ここまで引用―
この地には、かつての天文台が有ったとの事が書かれています。
それは暦、つまりカレンダーや手帳が深く関わっています。
なぜなら、多くの暦は天文学と密接に関わっていて、太陽や月と地球の位置で諸々が決まっていますが、この話を掘り下げると、学会が一つできるレベルなので、これは別のお話。
また、暦は人々が同じ時間軸を同じ表現で共有し、かつその土地と文化に根差し、生活を便利にするものが基本です。
ちなみにアイヌの暦は、「足の裏が冷たくなる月」とか「弓が折れるほど狩りをする月」のような暦で、これはこれで心惹かれ微笑んでしまいますが、地域が変わってしまうと、ちょっと使い方に困る暦になってしまいます。
そこで、暦はその地を管理下に治めた時の為政者が、厳重に管理をし広めるパターンが出てきました。
日本でも、暦を勝手に製造販売するどころか複写する事すら禁じられた時代がありました。
それにより「大小暦」という、大の月(30日まである月)と小の月(29日までの月)、はたまた閏の月(もう一つ足す月つまり年13か月)が各々何月なのかを知るために、知恵とアイデアを振り絞り、浮世絵の中に巧みに隠しながら盛り込んだ暦が市中に出回ったのですが、これは集め始めると美術館で特別展ができるレベルなので、これもまた別のお話。
なお国立国会図書館のサイトに、色々な「大小暦」がクイズ形式で紹介されています。
実にユーモアあふれる暦ばかりですので、一度ご覧になってください。国立国会図書館>大小暦クイズ
また歴史の中ではしばし「改暦」と言う、暦のベースや計算方法どころか、考え方までを変更する一大イベントが出てきます。
日本では明治6年を最後に改暦(この時は12月3日がいきなり1月1日になりました)されていませんが、世界中で暦は色々なタイミングで変更されてきました。
話を戻しますが、この「浅草天文台」では、日本で初めて西洋式の天文学を用いて改暦された、「寛政暦」を作る際に天文観測所として用いられました。
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なんでしょう、暦を扱う私共として、暦に大きく関わったこの地に“えにし”を感じます。
「モノマチ10」にお越しのさいは、この「浅草天文台跡」もぜひご覧になってください♬